本稿は公式設定を否定するものではない。
公式が明言している事実(『XI』とロト伝説の繋がりや真エンディングの演出など)はそのまま受け入れたうえで、現在一般的な解釈となっている「XI→III→I」という直列解釈とは異なる視点から、一つのモデルを提示するものである。
『III』は発表から長年の間、「勇者ロト伝説の原点」として語られてきた。一方で『XI』の発表によって、その原点としての位置をどのように捉えるべきかという新たな問いが生まれた。
もちろん、『XI』を『III』へ繋がる過去の物語として捉える解釈は成立する。『XI』と『III』の間に長大な時間や神話化の過程が存在したと考えることで、『III』が担ってきた「勇者ロト伝説の原点」という位置付けを損なわずに説明することも可能である。
しかし、『XI』の物語には、単なる前日譚としては説明しきれない複雑な構造が存在する。
時間遡行による歴史の変化、歴史改変後も残される改変前の記憶、そして『XI』と『III』の間に配置された数々の対応関係――。
なぜ『XI』は、このような構造をあえて採用したのだろうか?
本稿は、この『XI』に組み込まれた構造が何を意味するのかを読み解くことで、『III』勇者が「伝説の勇者ロト」であるという位置付けを損なうことなく、『XI』勇者をその伝説の源流として位置付けることができないか――その一つの解釈として提示したい。
また、作品全体を一つの表現として捉え、その演出は堀井雄二氏が提示した物語を構成する要素として扱う。考察は本編で描かれた内容を中心とするが、堀井雄二氏自身の発言については、その意図を理解するための資料として参照する。
『XI』と『III』の関係を単純な前後関係ではなく、二つの歴史が存在する場合における「同じ勇者の魂が異なる形で現れた物語」として捉える。
XI勇者が歩んだ歴史では、ローシュの死によって生じた因果を修正する物語が描かれる。
一方、セニカによってローシュの運命が変化した歴史では、その先にIII勇者の物語が描かれる。
この二つの歴史が最終的にIへ収束することで、「勇者ロトの伝説」が完成するという仮説を提示する。
『XI』の真エンディングは、「セニカの過去への遡行」→「聖竜の予言(Iへの示唆)」→「スタッフロール」→「セニカとローシュとの再会」→「IIIオープニングを思わせる母が子を起こしにいく場面」という順で描かれる。
仮にエンディング全体を一本の直列の歴史として表現する意図があるならば、「IIIへの示唆」の後に「Iへの示唆」が置かれるはずである。また、「シリーズ発売順(I→II→III)へのオマージュ」と考えることもできるが、その場合は『II』への示唆だけが存在しない理由を説明しにくい。
そこでこの演出は歴史の変化をプレイヤーに追体験させる意図があると考える。
スタッフロール前で描かれる聖竜の予言は「ローシュ→XI勇者→I勇者」へと至る歴史として読むことができる。
一方、スタッフロール後は、遡行したセニカとローシュとの再会、IIIオープニングを思わせる場面と続く。この構成は、「セニカの介入によってローシュの運命が変化し、その結果としてIIIへ繋がる歴史が成立する」と読む余地も残している。
ここでは、その「運命の変化」について、セニカによってローシュが救われたという仮説的な読み方を採用する。
もちろん、セニカが実際にローシュを救ったかどうかは作中で明示されておらず、これは推測の域を出ない。しかし少なくとも、セニカとローシュとの再会とIIIの始まりを連続して配置したことには、両者を強く結び付ける意図があったと考えるのが自然ではないだろうか。
第一章では、真エンディングの演出を「セニカの介入によってIIIへ繋がる歴史が成立した」と読む可能性を示した。
この読み方を前提とするなら、かつて堀井雄二氏が語った
「なんとなく歴史は収縮するというか、1個にまとまっていくのかなっていう。かすかに記憶が残ったりするんで。パラレルじゃなくて、1個の歴史にまとまって」
という旨の発言も、別の意味を持って見えてくる。
「1個にまとまっていく」とは「途中経路まで同じ」という意味ではない。
すなわち、異なる歴史を歩んだとしても、勇者ロトの物語は最終的に「闇に落ちた竜王を討つ『I』の世界」へ収束する、という考え方である。
堀井氏自身が単一作品内の歴史で収束的に捉えるなら、氏の物語観そのものがこの規模の収束を志向していると見るのは自然な延長ではないだろうか?
この考え方を前提に、以降『XI』と『III』に見られる数々の対応関係を読み解いていきたい。
以降、この時間遡行によって流れが変化した歴史の便宜的な呼称を「世界線」とする。
| ローシュ死亡(分岐点) |
| ↓ |
| XI勇者の歴史 |
| ↓ |
| セニカの時間遡行による歴史改変 |
| ↓ |
| ローシュ生存の歴史(新たな世界線) |
| ↓ |
| III勇者の誕生 |
| ↓ |
| Iへ収束 |
『III』の勇者に対し、エンディングでラダトーム王は次のように告げる。
「……でんせつの ゆうしゃ ロトの しょうごうを さずけよう!」
この瞬間、『III』の勇者こそが後世に語り継がれる「勇者ロト」であったことが明かされる。
こうして『III』は、長きにわたり「勇者ロトの始まりを描いた物語」として受け止められてきた。
しかし、この「伝説の勇者ロト」という表現は、かねてより一つの解釈上の余地を残していた。
そして『XI』によってロト伝説の起源が描かれたことで、その意味は改めて問い直されることになる。
もし『XI』の物語を『III』へ続く単純な前史と捉えるならば、『III』の勇者がラダトーム王から授かる「伝説の勇者ロト」という称号は、どのような意味を持つのだろうか。
一つの答えとしては、『XI』の勇者によって始まったロト伝説を受け継ぐ者に授けられた称号、と考えることもできる。
もちろん、そのように読むことも十分可能である。
しかし、それだけでは『III』が長年担ってきた「ロト伝説の始まり」という位置付けや、『XI』と『III』に散りばめられた対応関係を十分説明しきれているとは言い難い。
『XI』と『III』を対等な「勇者ロト」の物語として読むことで、この称号の意味や真エンディングの演出も、より自然に理解できるのではないだろうか。私はそう考えている。
そこで、これらを説明する一つのモデルとして、以下の仮説を提示したい。
ここから先は、本稿の中でも特に仮説性の高い部分である。しかし、このモデルを採用すると、それまで個別に存在していた複数の演出を一つの物語として説明できる。
XI勇者は作中で示される通り、ローシュの生まれ変わりとして勇者の使命を担った存在である。
III勇者についても、ローシュとの関係性に着目して考察を進めたい。
そのためのモデルとして、III勇者をXI勇者の単なる後継者ではなく、「歴史を書き換えた果てに辿り着いた、もう一つの勇者の生涯」と捉える。
そして、この関係性を便宜上「対の魂」と呼ぶこととする。
| ローシュ(魂の起点) | |
| ┌──┴──┐ | |
| XIの世界線 | IIIの世界線 |
| │ | │ |
| XI勇者 (勇者ロト) |
III勇者 (勇者ロト) |
| └──┬──┘ | |
| ロトの伝説が「I」へと収束 | |
ここでいう「魂の系譜」とは、XI勇者からIII勇者へ直接受け継がれるという意味ではない。ローシュという起点から続く魂が、歴史の違いによってXI勇者あるいはIII勇者として歩むという意味である。
その結果、異なる過程を歩みながらも、最終的には『I』へと収束していく。
これは作中で明言された設定ではない。しかし、『XI』と『III』の間に繰り返し描かれる対構造を読み解くうえでは、一つの整合的な解釈ではないかと考えている。
XI勇者自身、血脈上の直系子孫かは不明なまま生まれ変わりとされている。III勇者がオルテガの子でありながら同じ魂を宿すという読みも、この前例に沿うものである。
『XI』の物語とは、ローシュの死によって始まった歴史の歪みを、XI勇者の手で少しずつ修正していく旅路である。歴史を修正していく過程で、『XI』の世界が次第に『III』の世界へ近づいていく様子は、ゲーム内で変化していくBGMにも、その片鱗を見ることができる。
しかし、どれほど強大な力を得たXI勇者であっても、すべての始まりである「ローシュの救済」だけは、自らの時間遡行では成し遂げることができなかった。
だからこそ、XI勇者は、自らでは成し遂げられなかった「ローシュの救済」という願いを、セニカへ託したのだ。
自らの「勇者の紋章」と共に、歴史の根源からの引き直しを彼女へ委ねることで、第一章で述べたような「IIIへ繋がる歴史」が成立したと読むことができる。
さらに、もし前章までで示した読み方を採るなら、次のような解釈も成り立つ。
XI勇者が歩んだ歴史では、ローシュの死によって生じた運命を、XI勇者自身が担うことになった。
一方、セニカによってローシュが救われた歴史では、その魂は別の生涯を歩み、後のIII勇者として現れたと考えることができる。
そしてIII勇者が大魔王を討ち果たした時――「ロトの勇者」として、その物語は「伝説」として語り継がれる。
しかし、XI勇者が歩んだ歴史そのものが消え去ったわけではない。
歴史改変前の記憶は、XIの物語中で仲間たちが無意識に引き継いでいたように、歴史が引き直された後も人々の心の奥底に痕跡として残り、それが「神話」のかたちで再構成されていったのではないだろうか。
だからこそ、『III』のラストでラダトーム王はIII勇者を「伝説の勇者ロト」と呼んだ――そう読むと筋が通る。人々が受け継いだのは、別の歴史で同じ魂が成し遂げた偉業そのものではなく、その存在が残した「勇者ロト」という伝説だったと考えられる。
もしこのモデルが成り立つなら、堀井雄二氏が『XI』を通じて見せたかった物語は、ここにあるのではないだろうか?
『XI』をもう一つのロトの物語として描くために、このような構造が採られたのではないだろうか。
次章では、この「対の魂」というモデルを前提に、『XI』と『III』の間に散りばめられた数々の対構造を見ていきたい。
「勇者のつるぎ・真」のデザイン――ロトの剣として見慣れたあの意匠が、XI勇者ではなく先代勇者ローシュの時代から存在していたのはなぜなのか。
これはローシュこそが二つの物語の分岐点であり、XI勇者・III勇者共通の起点であることを示す演出として読むことができる。
XI勇者が歩んだ歴史では、ローシュの死後その使命とともに『XI』の勇者が「勇者のつるぎ・真」を継承。『XI』の勇者がロトの勇者と呼ばれるようになり、命の大樹(聖竜)に返還された「勇者のつるぎ・真」は、やがて「ロトの剣」として『I』の勇者へと受け継がれる。
一方、III勇者が歩んだ歴史では、セニカの遡行によりローシュが生き残ったことで『勇者のつるぎ・真』は大樹に安置されることなく、やがて勇者の伝承と共に後世のアレフガルドへと伝わる。これが『王者の剣』であり、ゾーマによって破壊されたものの、III勇者の手によって再鍛造され、やがて『ロトの剣』として『I』の勇者へと受け継がれていくこととなる。
つまり、「勇者のつるぎ・真」がローシュ由来であるという設定もまた、本稿のモデルと符合している。
前章までで述べてきた『XI』と『III』の対構造について、具体例を整理していきたい。
| 要素 | XI | III |
|---|---|---|
| 勇者 | XI勇者 | III勇者 |
| 闇 | ニズゼルファ | ゾーマ |
| 竜 | 聖竜 | 竜の女王 |
| 翼 | ケトス | ラーミア |
| エンディング | スタッフロール前 | スタッフロール後 |
| 音楽 | 勇者の挑戦 | 勇者の挑戦 |
| おおぞらをとぶ | おおぞらをとぶ | |
| 他 | 他 |
@勇者
XI:XI勇者として生まれ、自ら歴史を引き直す。
III:III勇者として生まれ、伝説を完成させる。
→ローシュを起点とする「対の魂」として捉える。
A闇の意思
XI:邪神ニズゼルファ
III:大魔王ゾーマ
→「闇の意思」が異なる歴史で顕現した存在として捉える(詳細は補章参照)。
B世界を導く竜
XI:聖竜が命の大樹として世界を支え勇者を導く。
III:竜の女王として光の玉を託す。
→勇者を導く「竜の力」の系譜として描かれている。
C空へ導く翼
XI:ケトス
III:ラーミア
→生まれ変わりを思わせる演出が用意されており、開発陣からそのような意図も示唆されている(補章にも追記あり)。
D受け継がれる視点
XI真エンディングでは、スタッフロールの前後で「セニカから勇者へ」視点が移る演出がそれぞれ描かれている。スタッフロール前ではXI勇者へ、スタッフロール後ではIII勇者へ。
後者は『III』へのファンサービスとして見ることもできる。
しかしXI勇者とIII勇者を「対の魂」と捉えるならば、主人公の視点で幕を閉じたと読むこともでき、この構成もまた対となる演出として見ることができる。
この見方を採ると、ドラゴンクエストらしい「最後は主人公の視点で締める」という演出とも調和する。
E受け継がれる旋律
『XI』では物語が『III』へ近づくにつれ『III』の楽曲が随所で用いられるようになる。BCとも共通する演出として、闇の魂との戦闘曲『勇者の挑戦』、空へ導く翼による飛行曲『おおぞらをとぶ』もその一環と捉えることもできる。
→楽曲もまた、世界線を越えて受け継がれる対構造の一つとして読むことができる。
これら一つ一つは個別のオマージュとして捉えることもできる。しかし一連の対構造として並べたとき、これらは同じ方向性を持って積み重ねられていることもわかる。
ここまで見てきた対構造とは別に、『XI』で描かれた事象や要素が、『III』においても何らかの形で確認できる例が存在する。
それらは一般に『XI』が『III』へ繋がる直列の歴史を示す要素として解釈されることが多いが、一方で、別の角度から読み直し、「過去の記憶」ではなく「別の歴史へ受け継がれた痕跡」として捉えてみたい。
激変した地形や、別世界であるアレフガルドの王が「ロト」の称号を知っていることなど、直列説だけでは説明の余地が残るように感じられる点についても、異なる視点から読み解くことができる。
→既に第一章で語っている通り。
→これらは『XI』固有の要素が『III』世界に残っていると読める例であり、直列説の根拠として挙げられることが多い。しかし、第三章で触れた「仲間たちが時間遡行前の記憶を無意識に引き継いでいた」という描写を踏まえれば、これらもまた『人々が無意識に引き継いでいたXIの歴史の痕跡』として読むこともできる。
→これらも「対構造」を補強するものと捉えられる。
・竜の女王が呼ぶ「勇者」とはローシュを指すとも考えられる。これはローシュを起点とする勇者の系譜がIII勇者へ受け継がれたためと捉えることができ、聖竜に対応する竜の女王と合わせて、光の魂および世界を導く竜の対構造がここにも表れている。
・「命の宿り木に連なる女王」という記述や、聖竜・竜の女王と同じ声で語りかけられる演出も、両者の対構造を補強する要素として読むことができる。
→「ガイアのハンマー」が、XIでは「勇者のつるぎ」を生み出し、IIIでは「王者の剣」の修復に用いられる。これは、異なる歴史を経ても同じ道具が武具の完成に関わるという対構造を示している、と見ることができる。
→これについては、『II』の「闇の意思」の話題とも関わり、『XI』と『III』の考察という本稿の範囲を越えるため、補章で改めて扱いたい。
【世界線を越えて残るもの】と合わせてここまで挙げた要素は、一般的には『XI』から『III』へ繋がる直列の歴史を示すものとして解釈されてきた。
しかし、対構造や世界線を越えて残る痕跡という視点から見たとき、それらは『XI』と『III』という二つの歴史を結び付ける演出として捉えることもできる。
※なお、六つのオーブについても対応要素として解釈する余地はある。しかし『VIII』にも類似するモチーフが存在するため、本稿ではシリーズ共通の演出要素として扱い、主要な根拠には含めない。
――結局のところ、勇者ロトとは誰だったのか。
それは『XI』の勇者でもあり、同時に『III』の勇者でもある、と私は考える。
二人の勇者は、ローシュを起点とした因果の糸で結ばれた、異なる歴史における同じ魂の系譜を継ぐ存在なのだ、と。
因果の流れを辿ると、次のようにみることもできる。
ローシュが命を落とした歴史にて『XI』の勇者は生まれた。
彼は幾度も歴史を引き直し、ついにはローシュをも救う。
その祝福された歴史にて『III』の勇者は生まれた。
だが、最終的に歴史はひとつに収束する。
「ローシュ(生存)→ III勇者 → I勇者」という歴史である。
『XI』の勇者は歴史改変によって消えてしまう存在ではない。
その魂は『III』の勇者として新たな歴史を歩み始めるのである。
アリアハンでオルテガの子として生まれた勇者の物語は『III』で既に描かれている。
だからこそ『XI』はその冒頭を描いたところで幕を閉じる。
「勇者ロトの伝説」は『XI』と『III』、ふたつの物語で完成するのである。
――これが、私の考える「勇者ロトの伝説」である。
この「勇者ロトの伝説は『XI』と『III』のふたつの物語を通して完成する」という考え方は、本作のタイトルロゴにも、その構造を思わせるメタファーとして見出すこともできるのではないだろうか?
なぜ本作は、アラビア数字の「11」ではなく、ローマ数字の『XI』と表記されなければならなかったのか。ただのシリーズの慣例だと切り捨てることもできる。
しかし、ここまで見てきた数々の対応関係を踏まえるなら、このロゴにも物語全体を象徴するメタファーが込められている、と読むこともできる。
もちろん、これを意図された仕掛けと断定することはできない。しかし、堀井雄二氏の作品には、このような遊び心が見られることもある。
そう考えるなら、このロゴもまた、物語全体を象徴するメタファーとして楽しむことができるのではないだろうか。
『XI』というローマ数字の構造を見てほしい。
これは「X(交差する2本の線)」と「I(1本の線)」で成り立っている。
「X(交差する線)」: 「ローシュの死」というイレギュラーによって時空がねじれ、過去と未来を行き来し、複雑に絡み合ってしまった因果と世界線。
「I(1本の線)」: どんな世界線であっても決して変わらずに貫かれる、ただ一本の「勇者の魂」。
『XI』の勇者たちが歩んだあの旅は、絡み合った歴史の結び目である「X」を解きほぐし、世界線を修復する旅だったと読むことができる。
交差していた二本の線は、交わらない並列の線「II」となる。
そこへ決して変わらない勇者の魂「I」が寄り添う時、『XI』は『III』へと姿を変える。
絡み合った歴史(XI)を解きほぐし、美しい歴史(III)へと繋ぐ物語。
『XI』のロゴにそんな遊び心が込められている、と読み解くのも一興ではないだろうか。
本編での考察は以上となる。
以下は本編とは独立した補足的な考察である。本編では扱いきれなかった三つの話題について触れておきたい。
『VIII』における「空へ導く翼」レティスには自身がラーミアであることを示唆する描写が存在する。
三者の覚醒時に用いられる詠唱は、『III』『VIII』『XI』で共通している。
このことから、『XI』においてケトス覚醒時に同じ詠唱が用いられていることも、ケトスとラーミアの対応関係を補強する演出として読むことができる。
一方で、ケトスは単にラーミアを思わせるだけではなく、その姿や世界を見守る役割には、天空シリーズのマスタードラゴンを想起させる要素も見受けられる。
もしこのように読むことができるなら、『XI』のケトスという存在が、ロトシリーズではラーミア(レティス)へ、天空シリーズではマスタードラゴンへと、それぞれ役割を分かつ前段階として描かれているとも解釈できる。
これは、本補章【VIとの関係】で述べる『XI』からロトシリーズと天空シリーズへ「解きほぐされていく」構造とも符合している。
『II』真の黒幕「闇の意思」(※IIリメイク版などに登場する概念・マガシドー等)と、
『XI』の邪神ニズゼルファとの関係について触れておきたい。
ファンの間では、この両者の声や口調が共通していることが話題となってきた。
これを『XI』から『II』へと続く直列的な歴史観の証拠(ニズゼルファが時間を経て闇の意思になった)と捉える見方もあるが、別の見方も可能ではないだろうか?
「闇の意思」とは特定の個体ではなく「光ある限り存在し続ける」形なき邪悪な概念として捉えることもできる。
本稿の仮説ではあるが、XI勇者とIII勇者が『同じローシュの魂の生まれ変わり』であるように、ニズゼルファとゾーマもまた『同じ「闇の意思」という根源が、XIとIIIで別の姿となって顕現した存在』であると考えることもできるのではないだろうか。
そしてマガシドーについても「闇の意思」に連なる存在として捉えるならば、その根源的な口調にも共通性が現れていたと考えることができる。
こう捉えることで、本稿の考え方とも整合する。
さらに、制作側の描き方という観点から見ると興味深い点がある。
『II』リメイク版のエンディングでは、『III』との関係を補強する演出が新たに追加された。
一方『XI』との関係については、「闇の意志」を通じた示唆はマガシドーという形で新たに掘り下げられている。
しかしそれはあくまで黒幕・概念側の掘り下げであり、XI勇者・ローシュ側――すなわち勇者の魂の系譜そのものに新たな橋渡し演出が加わったわけではない。
『III』にアリアハン再訪という勇者視点の新演出が加わったのとは対照的である。
この対照的な扱いは偶然かもしれない。しかし少なくとも、『III』以降の歴史と『XI』から『III』への繋がりは、制作側によって異なる方法で描き分けられていることだけは確かである。
本稿の「XI勇者とIII勇者が同一の魂である」という説に対して、次のような反論を抱く人もいるかもしれない。
「XI勇者は由緒正しきユグノアの『王族』だが、III勇者はアリアハンのいち戦士(オルテガ)の子、つまり『一介の冒険者』に過ぎない。『身分』が違うのだから、同一の存在とは言えないのではないか?」と。
確かに、歴史を単なる「血脈(DNA)の直列」として捉えれば、この身分の落差は不自然に見える。
しかし、ふたつの世界線を越えた「魂の転生」という視点で見た時、この身分の違いは堀井雄二氏が仕掛けたと考えられる「メタ的な遊び心(構造)」と見ることもできる。
それが、XIのもう一人の主人公とも言える相棒・カミュの存在である。
カミュの容姿や設定が、『VI』の主人公を想起させる要素を持っていることは、多くのプレイヤーから指摘されている。
ここで、彼らの『身分(社会的立ち位置)』に注目してほしい。
勇者の系譜:XI勇者(王族) → III勇者(冒険者)
カミュ/VIの系譜:XIカミュ(冒険者) → VI主人公(王族)
XIからIII・VIという過去作へのオマージュラインを引いた際、勇者と相棒の「王族」と「冒険者」という身分が、見事なまでにクロスするよう設計されているようにも見える。
この構造は、終章で述べた『XI』のロゴが『III』へ解きほぐされるという見方とも、どこか響き合っているように思える。
つまり、XIの時点で絡み合っていた運命が解きほぐされて身分が入れ替わり、やがてロトシリーズと天空シリーズという「交わらない並列の歴史」へと移行していくプロセスをも暗示している――私はそう考えている。
また、『XI』のメタファーは『III』だけに留まらない。もう一つ興味深いのが、『VI』との対応である。
カミュが『VI』の主人公のオマージュであるという事実。それを踏まえて、今度は『XI』という文字を「垂直」ではなく「水平」に真ん中で割ってみてほしい。ここでも『XI』という文字に別の読み方を与えることができる。
「X」の上半分は「V」となり、下半分は「逆さのV(Λ)」
そう捉えるなら『XI』というロゴは、『VI』という文字と、その『上下鏡写し』を組み合わせた図形として読むこともできる。
「上下の鏡写し」。これは『ドラゴンクエストVI』の根幹のテーマである「上の世界(夢)」と「下の世界(現実)」の構造をも表している。
『VI』において、主人公の魂は「現実世界の王子」と「夢世界の村人」という、ふたつの身分に引き裂かれていた。
だからこそ、『XI』において勇者(王族)とカミュ(市井の盗賊)は、かつての『VI』の主人公が持っていたふたつの身分を分け合うように、鏡合わせの相棒としてデザインされた――私はそう考えている。
垂直に解きほぐせば、並列する歴史である『III』へ。
水平に割り振れば、上下の鏡写しである『VI』へ。
『XI』の勇者とカミュの「身分のクロス」、さらにはロトの系譜(III)と天空の系譜(VI)という、ふたつの物語の構造までもが『XI』というロゴに重ねられていると考えるなら、それは単なる偶然というよりも、堀井雄二氏らしい「遊び心」が込められていると読むこともできるだろう。
第四章で触れた、竜の女王が『勇者』と呼びかけた一節についてだが、ここでは「勇者」をローシュを指すものとして読み解いている。しかし、執筆中には別の読み方も考えていた。
竜の女王(聖竜)は世界を見守る神格的存在であり、時間遡行による歴史の変化そのものをも見守っていたと考えることもできるのではないか、というものである。この考え方による考察も興味深かったが、論旨を一本にまとめるため採用しなかった。
もし竜の女王がすべての歴史を見渡す「神の視点」を持つ存在だとするなら、その視点は、複数の物語を俯瞰して配置した制作側の視点ともどこか重なって見えてくる。
公式から完全な時系列の答えが明言されているわけではない。『XIの未来がIIIである』とする直列の歴史として捉える解釈も広く知られている。
『XI』と『III』は発売時期も制作背景も大きく異なる作品であり、本稿の内容は一つの読み方に過ぎない。
しかし、この考察を通して改めて両作品を遊び直すきっかけになれば幸いである。
令和8年7月 トマ 著